向日葵ママの気まぐれブログ

専業主婦です。日々の暮らしについて役に立つ、面白いと思ったネタを発信していきます。

たくさんの愛で育まれた宇野昌磨くん

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宇野、回り回って大技取得


 
 

 【江陵(カンヌン)=原田遼】誰よりもリンクで転んできた。初めてスケート靴を履いた日は転んで顔を氷に強打し、十分で帰宅した。平昌(ピョンチャン)冬季五輪で十六日、ショートプログラム(SP)の競技に臨む宇野昌磨選手(20)。五輪の舞台にたどりつくまでに、大きな挫折があった。

 生まれたときは父親の手のひらに体が収まる未熟児。掛け布団はハンカチだった。ぜんそくで、幼少期は入退院を繰り返した。体を強くしようと、両親はサッカーやテニス、バレエなどいろいろなスポーツをやらせてみた。サッカーでは競り合いが怖くて、ずっとゴールの裏に隠れていた。

 スケートだけは、なぜだか「もう一度滑りたい」と両親にねだった。五歳で名古屋・大須でスケート教室に入ると、一日五~六時間の猛練習を続けた。小学生時代に全国優勝を重ね、「天才少年」と騒がれた。

 だが早々に壁にぶち当たった。中学一年から練習を始めたトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)がどうしても跳べない。一日百回以上、練習の一コマ一時間をすべてトリプルアクセルにささげても、転んでばかり。「周りの人がどんどん跳んでいき、つらかった」。気づけば高校生。樋口美穂子コーチが「自暴自棄になってしまうのでは」と心配するほどだった。

 高校二年の秋、先輩の助言で先に4回転トーループの練習を始めると、何と数週間で成功。回転の感覚を体が覚え、どうしても跳べなかったトリプルアクセルもその冬に試合で決めた。

 挫折から得たのは「意味のない努力、考えのない努力は身にならない」という教訓。その後は一つのジャンプに固執せず、次々と新しいジャンプに挑戦した。二〇一六年春には4回転では二番目に難易度の高いフリップを世界で初めて成功。当初は成功率が低かったが、次第に安定感が増した。

 十六日、直前練習では時折、ほほ笑みすらたたえ、4回転トーループなどを跳んだ。

 「つらい経験をしたから、ほかのことはやわく(容易に)感じる」と話す宇野選手。五輪といえど恐れることはない。転んだ数だけ階段を上り、一番上を目指す。

中日新聞 東京新聞
 
こちらはオリンピックの試合前に出た記事です。
宇野昌磨君が手のひらに乗るほどの未熟児で生まれた衝撃的なところから始まり、
 トリプルアクセルが4年間跳べなかった挫折の期間があったこと、
そんな彼がへこたれることなく努力を続けてオリンピックで銀メダルを獲得できたこと。
 
未熟児の彼を見て、将来、オリンピック銀メダリストとという偉業を成し遂げるなんて誰も想像できなかったでしょう。
家族、コーチ、先輩や周りの方々の愛情、サポートがなければここまでこれなかったでしょう。
スケートにも出会えてなかったかもしれません。
 
才能はあるけれども、決して器用ではない彼の血のにじむような努力と信念の強さに尊敬するばかりです。
「氷上の貴公子」の華やかな舞が一層輝いて見えます。
見事に綺麗な花を咲かせ、大勢の方から愛され、フィギュアを通して感動と力を与える存在になりました。
 
感動で涙が出てきました。
 
改めて、平昌オリンピック、銀メダルおめでとうございます!!!
 
 
「生まれてきてよかった、自分の人生が楽しい」という彼の言葉は、
どんなに御両親を喜ばせ、親孝行になっていることでしょうか。
今までのどんな苦労も報われますね!!